お前の妻は俺の物精神の男たち

生身の人妻は男を否定しない優しい欲求不満ではない

性欲と性的消費は暴力的であり、そのうえ対象となる相手を無視した身勝手なものである場合が多く、これは「人妻」に対して男性が向けることになる性欲においてももちろん例外ではありません。

その身勝手さは、男性の性欲の対象として語られることになる「人妻」を構成している「都合の良いイメージ」を一望すればおのずと明らかになるようなものです。

実在する「人妻」と交際、性行為などをすることによって生じるであろう様々な現実的なトラブル、関係性の軋轢、不都合な側面はもちろんのことなのですが、何よりも、「夫がいる女性」であれば誰でも「人妻」という性的対象として一律に扱われてしまうことになる女性の、「人妻」である以前に「一人の人間」であり「女性」であるという事実を、「人妻」に欲情する男性が想像力を働かせて考慮するということがほとんどないということが、「人妻」の前に横たわる大きな問題であると私は考えています。

人妻が好きな男性は属性に萌えているだけである

人妻が好きな男性は属性に萌えているだけである

言うまでもなく、「男性から性的な欲求を向けられる対象」という枠の中で「人妻」と呼ばれてしまうことになる「夫がいる女性たち」のことを、「世界にあまねく存在する『夫がいる女性』である『人妻』はみながみなすべてこのような性質と性的特徴を持っており、それこそが『人妻』を愛好する男性たちを激しく興奮させ、勃起させるのだ」と大雑把に一括りに断言するようにして、「人妻の魅力」などという一枚岩の言説として総括して提出するようなことはできませんし、また、してはならないことでしょう。

なぜなら、男性の性欲の対象として語られる「人妻」というのは、「男性の性欲の対象として語られる人妻」でしかないのであって、そのような「人妻」について語られていることは、実在する「夫がいる女性」の大多数の現実や個々の心身とは乖離している、限定された押し付けられたイメージでしかないからです。

「不倫」「寝取り/寝取られ」という「行為」とセットにして扱われることになる「人妻」という「膨大にリスト化された男性の性的欲望の“いちジャンル”」「属性(萌え属性)(キャラクター属性)」は、実在する「夫がいる女性」の現実的な肉体と精神の大半を意図的に無視することによって成立しているものに過ぎません。

その無視によって成立したものを、実在する「夫がいる女性」に無理やりに当てはめ、性的興奮のために付与しようとするわけです。

男性が押し付けた人妻のイメージを生身の人妻が逸脱するとき

「人妻」に性的興奮を抱く男性のなかには、ひどい場合、そういった「人妻」という言葉のイメージからは外れている「夫がいる女性」に対して、「あれ、なんだかあんまり『人妻』らしくないですね。ほら、あなたも『人妻』なんですから、もっと『人妻』らしく振る舞ってみてはいかがです?あなたの本当の欲望は……」などと語りかける男性もいることでしょう(このような語りかけは「人妻」という言葉を入れ替えた形で様々な場面で変奏されて横行しているとも思いますが……)。

「人妻」というものを性的対象として捉える男性の口から出る「人妻」という言葉で囲われた「狭い領域」に、実在する「夫がいる女性」たちは頼んでもいないのに一律に呼び出され、「人妻」のイメージを押し付けられ、その上で、わざわざ呼び出されて乗せられた「狭い領域」の土俵際からどんどん押し出され、突き飛ばされ、土俵外へと落とされていくことになるでしょう。

この「土俵外への突き飛ばし」が加速していくと、極端に聞こえるかもしれませんが、「旦那とは毎晩毎晩セックスをしているのに、なぜ自分とはしてくれない!『人妻』のくせに!『人妻』は旦那にはタダでセックスさせているのに!毎晩セックスしてないなら、旦那じゃない男の陰茎を求めて股を濡らしているくせに!『人妻』のくせに、欲求不満のくせに、不倫寝取られセックスをさせてくれないなんて絶対に許さない!おれはお前との人妻セックスのために、絶対に、びた一文も払いはしないからな!」というような悪辣な「逆恨み」「言いがかり」を、「夫がいる女性」に対して血走った眼でぶつけていくような「人妻好きの男性」が出てくるのも時間の問題なのではないかと思われます(というか、もうすでに「いる」ような気がします)。

人妻を属性萌えすることで可能になる人格無視の性的消費

男性の性欲の対象として語られる「人妻」というのは、多種多様な「夫がいる女性たち」を無理矢理に同じカテゴリーのなかにハメこんで十把一絡げに扱うための「属性」でしかありません。

「人妻好きの男性」というのは、二次元のキャラクターに対して向けるような「属性萌え」の一貫として、「夫がいる女性」に対して「人妻」というオプションをあてがい、生身の肉体と個々の人格を持った存在を「わかりやすいキャラクター」に変えて性的に消費することを可能にした層であるといえます。

こう書きますと、まるで二次元のキャラクターを下に見ているかのような、あるいは、「二次元のキャラクターならば、そういった行為も許される」という意見としてとられるかもしれませんから一応補足しておきますと、私は、二次元のキャラクターにも「設定」で付与された「属性」だけでは完全に説明しきれないような個々の人格のようなものがあるという考えを持っています。

そういった「個々の人格」があるキャラクターたちに対して「属性萌え」として、ただただ「属性」の記号的組み合わせだけに反応して、その「属性」だけに眼を向けて性的消費をつづけるのはどうなのだろうか、二次元のキャラクターの人格や存在を無視しているのではないか、という疑問も抱いております。

人妻という属性が引き受けさせられる諸特徴について

「人妻」「属性」、および「人妻好き男性」による「属性萌え」に話を戻しましょう。

「『人妻』の特徴」「『人妻』の魅力」として語られることは、「夫がいる女性以外の女性」にも通用することです。また、「『人妻』の特徴」「『人妻』の魅力」とされるものをまったく持っていない「夫がいる女性」もたくさんいます。

「人妻好き男性」「人妻」という「属性」をどのようなものとして考えているかは、この「誰にでもあてはまる」、あるいは、「あてはまらなさ」を踏まえた上で見ていく必要があるでしょう。

漏れているものもあるかもしれませんが、まとめてみると、以下に羅列する「特徴」が、「人妻好き男性」によって「人妻」と名指されることになる女性の「魅力」として扱われます。

「大人の余裕/大人の色気/落ち着き/性体験の豊富さ/男性慣れ/男性理解/母性/包容力/背徳感/つきあいの良さ/家庭的気遣い/性的欲求不満/セックスレス/隠れ淫乱」

「夫がいる女性」に対して「人妻」という「属性」が付与されるとき、「夫がいる女性」「すべて」は、たかだか「夫がいる」というだけの条件で、これだけ(そして、おそらくは、これ以上の)の「特徴」「魅力」をイメージとして押し付けられることになります。

男性にとって都合がいいだけの人妻のイメージ群

男性にとって都合がいいだけの人妻のイメージ群

このなかで、「人妻に特有の魅力」といえるのは、「背徳感」だけであると思います。それ以外のすべての要素は、「夫がいない女性」が、「人妻ではない状態」で、個々人の「特徴」「魅力」として持つことが可能なものばかりです。

結婚もしておらず若年であるにも関わらず「大人の余裕や色気」がある女性、産み育てた子供などがいなくても「母性や包容力」を発揮する女性というのはいますし、若い段階から数多くの男性経験を経て「男性慣れ」している女性もいるでしょう。結婚をしていなくても「兄弟や姉妹」などを相手にして「家庭的な気遣い」を見せる女性もいます。

当然ながら「性的欲求不満」というようなものは、既婚や未婚に関係なく、性欲が強い女性にあてはまる要素でしかありません。「セックスレス」「隠れ淫乱」なども同様に、言わずもがなです。

そして、反転した極端なありかたとして、「大人の余裕もなく、色気もなく、いつまでたっても子供じみていて、落ち着きもなく、性的経験も僅少、男性にはあまり慣れておらず、男性の行動や思考に理解がなく、母性が欠落し、包容力のかけらもなく不寛容で、他人との付き合いも悪く、家庭内で家族を気遣うこともなく、性的には充足しており旦那とのセックスも楽しんでおり、あるいはセックスそれ自体にまるで興味がないこともあり、そもそも淫乱ではない人妻」の存在も忘れてはならないでしょう。

人妻好きの男性が人妻として認識しない人妻について

しかし、「人妻」というものを「属性萌え」として性的に消費する男性にとって、この「反転した極端なありかた」としての「夫がいる男性」は除外されます。こういった「特徴」「人妻」「いない」「たとえいたとしても、いないようなものである/いてはならないのである」といって、性的対象として語られる「人妻」にまつわる文章のなかで隠されて黙殺されることになるでしょう。

「属性」としての「人妻」のこれらの諸特徴から判断すると、「男性の自尊心を決しておびやかすことのない安心安全な、優しいけどエロい、しかも、タダでセックスはさせてくれる女性」という都合のよい女性を、「人妻」という名のもとに男性が求めていることがわかります。「人妻」「属性」の内部に含まれる諸特徴のなかには、「男性を否定する要素」を一つも見出すことができません。

様々な不都合を度外視して「属性」としての「人妻」というキャラクターを性的に消費しようとしていた男性は、生身の肉体と個々の性格を持つ「夫がいる女性」「男性を否定する」ような言動をとって脳と直結した陰茎を脅かされた瞬間に、おそらく、前述したような逆上で「テメーこの野郎『人妻』のくせに何だその態度は!」とブチギレるか、おとなしい場合は、インポになるでしょう。そして、どちらの場合でも、被害者であることを主張するかもしれません。

人妻好き男性は、属性萌えとしての態度も徹底していない

極めて重要なことを書き忘れていたのですが、「人妻」「属性萌え」する人は、「属性」だけに「萌えきる」という貫徹する姿勢も見えません。

本当に「人妻」という「属性」が好きなのであれば、男性にとって都合がいいだけの諸特徴を取っ払ったあとに残る、「夫がいる女性である」という本当の「特徴」だけにこだわり、相手がどんな性格、どんな容姿の「人妻」であろうとも、その「人妻」という「属性」に興奮するはずなのですが、そのような「人妻」という「属性」を本気で愛して、すべてを無視して「人妻」であることを理由にして「人妻」に惚れ込んでしまい、セックスしたくなるというような、徹底的に「属性萌え」な男性はほとんどいません。

重要なことを書き忘れていましたが、「人妻」という「属性」を好む男性は、「それなりに見た目が整っている女性に限る」という担保をつけた状態でしか、「夫がいる女性」「人妻」として認めません。「見た目が整っている女性」「人妻」という都合のいい「属性」が付与されるのが好きなだけなのであって、「人妻好き」の男性は「夫がいる女性」なら誰でも好きというわけではないのです。

無責任な人妻好き男性にとって生身の人妻は重荷すぎる

「好きになってしまった相手」「夫のいる女性」だった、ということで「悩む(潔く身を引くなり、あるいは、感情を抑えきれずに不倫関係へと突き進む)男性」の場合は、「人妻であるから好き」なのではなく、「人妻なのに好きになってしまった」でしょう。

どういう結論を出すにせよ、こういった男性は、「夫がいる女性」という現実と対峙し、生身の肉体と個々の性格、とりまく関係性をまるごと引き受けたうえで、自分の問題として「人妻」を考えなければなりません。

しかし、はじめから「人妻」が好きで、インターネットの検索窓に「人妻」という単語を自ら入力してしまうような「中途半端で無責任な属性萌えでしかない人妻好き」の男性には、このような葛藤であるとか、イメージから逸脱する現実の生身の人妻を引き受けようとする態度はまったく期待できません。

こういった「中途半端で無責任な属性萌えでしかない人妻好き」の男性には、現実の「夫がいる女性」は重荷すぎますし、「夫がいる女性」としても、自分を否定せずタダマンしろ、といってくるような男性のことは大抵は願い下げであろうと思います。

ですから、「人妻」という「属性」がなんとなく好きな男性におすすめなのは、結局のところ、アダルトビデオです。アダルトビデオであれば、期待通りの、イメージ通りに都合のよい、自分を決して否定しない「人妻」のセックスを見ることができるでしょう。