お前の妻は俺の物精神の男たち

AVの人気検索ワードから香る人妻の危うい魅力

「人妻」と呼ばれる属性の女性の根強い人気にはただただ驚かされるばかりです。

アダルトビデオなどでも「人妻モノ」と呼ばれる一連のジャンルは幅広い年齢層の男性から強い支持を集めています。

“FANZA REPORT 2018”という、アダルトポータルサイトFANZAが独自で行ったレポートを参照しますと、2018年の「人気検索ワードのTOP25」において、「人妻」という検索ワードはなんと4位という見事な高順位を記録しております。

この4位という記録は「熟女」「巨乳」「痴漢」につぐ驚異的な記録なのですが、「痴漢」のような「行為」を除外して、「属性」のみに特化した場合、「人妻」はベスト3に食い込む人気を誇っているのですし、言うまでもなく、「人妻」という属性は「熟女」「巨乳」という他の「属性」と結託することも可能です。

「属性+行為」による「人妻」「行為」の組み合わせのバリエーションについては言うまでもないでしょう。

「行為」を省き「属性」だけで人気の検索ワードのランキングを組み直してみると、人気検索ワードの序列は「熟女、巨乳、人妻、ギャル、素人、ニューハーフ、コスプレ、痴女、ぽっちゃり、ロリ」というものになります。

この「人妻」の異様なまでの人気の高さは、「ロリ」がギリギリのところでなんとか食い込んでいて、「女子校生」「女子大生」「妹」などの、なんとなく人気があるイメージが強い属性がランキング圏外であるという結果とともに、我々に意外な驚きを与えてくれるものであるといえるでしょう。

異様な人妻人気の核は一体どこにあるのか

異様な人妻人気の核は一体どこにあるのか

この「人妻」に対する人気というのは、これがアダルトビデオのようなフィクションであるためなのでしょうか。

それとも、実在する「人妻」もまた、アダルトビデオにおける検索ワード、「フィクション」「人妻」と同じような扱われ方で男性の性の対象とされてしまっているのでしょうか。

それがフィクションであることによって見え方が変化する「属性」というものはあります。

たとえば、「妹」であるとか「姉」、あるいは「母」というような血族にまつわる「属性」は、現実的なものとしてではなく、フィクションであることを割り切った上で、はじめてそれを楽しむことが可能になるような「属性」であるのではないかと思います。

実際に妹や姉という血族がいる男性の場合、ほとんどは、「妹」「姉」という括弧でくくられた「属性」や、「近親相姦」という「行為」に対しては疑問を抱いているか、極端な場合は、拒否感、嫌悪感を持っているものです。

もちろん、少数の例外がいることは確かです。実際に妹や姉がいるにも関わらず、「属性」としての「妹」「姉」「行為」としての「近親相姦」というようなものに、性的興奮を抱くタイプは間違いなく存在します。

そのような世間的にはタブーとされているような性行為が実行されてきた現実があったからこそ、そういった性行為は、括弧付きの「属性」「行為」としてその「おぞましい部分」などを希釈され、拒否感や嫌悪感を感じさせない消費可能なフィクションとして語り直されもするわけです。

人妻という属性、不倫という行為の曖昧さの魅力

「人妻」という「属性」、また、「不倫」「寝取り/寝取られ」という「行為」は、前述したような血族に属する「属性」「行為」に比べると、現実とフィクションの境目を往復する、曖昧な中間地点を漂うものであると考えることができるように思います。

実際、「近親相姦」などの禁忌に比べると、「不倫」という非倫理的な営みは、きわめて通俗的でありふれた行為であるとさえいえます。

「近親相姦」が括弧付き(フィクションとしての、という意味として捉えてください)の「行為」としての側面がどうしても強いのに比べると、「不倫」というのは、「行為」としても行為としてもそれなりに通用してしまうものであるでしょう。

これは、「人妻」という「属性」についても同様のことが言えます。「妹」「姉」「母」というのは、括弧でくくられた「属性」というやり方を通してはじめて欲情を可能にするような「フィクションを前提とした側面」が強い「属性」ですが、「人妻」に関しては、そうではありません。

フィクションとして語られる人妻は現実の人妻に影響する

「人妻」の場合は、「属性」というやり方を通して、「属性」がない状態の女性にはない性的魅力をある種の男性に対して付与したり、あるいは、その性的魅力を強化する、というような性質を持っていると考えられます。

「人妻」の人気は、フィクション特有のものでしかないのか、それとも、現実においてもそうなのか、という問いは、「人妻」というものが「属性」として機能する瞬間の、この曖昧な性質によって立てられた問いであります。

そして、この現実とフィクションのバランスと、曖昧な性質こそが、「人妻」というものに男性が不思議なまでに惹きつけられてしまう決定的な理由なのではないか、と私には思われるのです。

これは、「妹」などの「属性」が、「検索ワード」としては下位であるどころかランキング圏外に位置するほどなのは、この「妹」のような「血族的属性」というものの、現実とフィクションのバランスが極端にフィクションに傾いており、「曖昧なもの」ではなく「明快」である、その「明快さ」こそが原因なのである、と言い換えることが可能であるかもしれません。

現実として体験できる可能性があるフィクション

フィクションとしてのポルノの鑑賞者に「この眼の前で展開されているフィクションは、自分の身体で、自分の体験として行為可能なものでもあるのだ」という思い込みや期待を与えること。

これこそが、「人妻」という「属性」の持つ人気の秘密なのではないかと私は考えています。つまり、「夢と現実の区別」を曖昧にする作用が「人妻」には隠されているといえます。

これが「妹」「姉」というようなジャンルですと、「この眼の前で展開されているフィクションは、自分が実際には体験しえない(してはいけない)フィクションでしかない」という「線引き」が行われます(と、個人的には信じたいところですが、アダルトビデオと現実の区別がつかない男性がとても多いのでこればかりはなんとも……)

検索ワードを見ていますと、「ニューハーフ」を除くと、「地に足がついている属性」が多いことに気付かされます。これは、「もしかすると、これは自分にも起こることなのかもしれない」のバランスが、ポルノというフィクションの人気を左右しているという証明であるようにも感じられます。(このように見ると、「行為」としての「痴漢」が上位にあることには吐き気が催されます)

性の対象における自然主義的属性と幻想的属性

性の対象における自然主義的属性と幻想的属性

私が「属性」だけを取り出したベスト10の真ん中に、ちょうど「素人」が入っているのが象徴的なのではないかと思います。「素人」の場合は、どちらかというと、「フィクション」よりも「現実」の方に寄っているとさえいえるかもしれません。

「素人」「自分にも起こるかもしれない」という期待以上に、童貞以外の男性にとっては「自分にすでに起こった既知の出来事がそのリアリティを保ちながらフィクション化されている」という「属性」であると思います。

現実とフィクションというものを両極に置いて、ものすごく簡単で単純な見取り図を作るとするならば、現実の極に「素人」、フィクションの極に「血族」があり、その中間地点に「人妻」が漂っている、というようなものが作成可能なのではないかと思います。

もちろん、「行為」においては現実のセックスで行うには荒々しすぎてフィクションであると言わざるをえないものが多いのがアダルトビデオの基本ですが、ひとまず、「属性」だけに眼を向けるならば、「素人」というものは、ポルノにおける「自然主義的な作品」「リアリズム」という位置づけになるのではないかと思われます。

一方、「妹」などの「血族的な属性」という極は、ポルノにおける「ファンタジー的な作品」「空想的作品」として対置することができるでしょう。

マトリクスの中心を曖昧に漂う人妻の魅力

この二つの「属性」の極は、「行為」に入れ替えると、「素人」にあたるのが「ハメ撮り(現実志向)」のような行為可能なジャンル、「妹」などにあたるのが「時間停止(空想志向)」などの現実離れした行為不可能なジャンルになるでしょうか。

「属性」の二極を「横軸」「行為」の二極を「縦軸」にすることにより、現実とフィクションのバランスを探る雑なマトリクスの作成も可能ではあるのですが、そのような考証に夢中になっていると、だんだんと「人妻」という本題から横道に逸れてしまいますので、そろそろ「人妻」へと話題を戻すことにしましょう。

「人妻」という「属性」が、ある種の男性にとって魅力的でありつづけているのは、「リアリズム風でありながらファンタジー的でもある」という中間地点に「人妻」という「属性」が身を漂わせているからではないか、というのが私の個人的な考えです。

「ありえないかもしれないことが、ありえる」「起こらなそうなことが、自分にも起こりうるかもしれない」、この「かもしれない」という「余地」が残されていることこそが、「人妻」という「属性」の人気を支えているように思われます。

「素人ハメ撮り」のような「ありうることがありえることとして、フィクションとしてリアリティを保ちながら撮影されている」という「夢見る男性」にとってはあまりにも現実に即しすぎているものとも、「かわいすぎてエロすぎる妹が自分のことを好きすぎて困る」というような「こんなことがあるはずがないだろう」とある種の現実主義者からは白けた眼で見られかねない現実離れしたものとも違う性質をはらむのが、「人妻」という「属性」であるわけです。

ポルノとしての人妻は現実における人妻のいざこざを隠す

「人妻ハメ撮り」は、「不倫」という世間的な禁忌が挟まれることによって「リアリティたっぷりに撮られているこれは、自分にも起こりうることなのかもしれない」という感覚を、「エロすぎる人妻がセックスレスの旦那よりも自分のペニスが好きでしょうがないから寝取った」は、「こういうこともあるかもしれない」という感覚を、期待を掻き立てながら鑑賞者に与えます。

実際に「人妻」「不倫」をすることになった場合、その露呈の仕方によっては社会的な制裁を受ける場合もあるのですが、そういった不都合な事実は、ポルノとして提出される「人妻モノ」のなかでは巧妙に隠されます。

「現実」において「人妻」と交渉を持つのであれば最低限考えなければならない法的なトラブルや、旦那との間に発生するトラブルなどは、フィクションである「人妻モノ」を鑑賞している間は無視することができます。

「人妻」という「属性」を、「属性」として理解し、「これは現実ではやってはいけないものだ」と自分に言い聞かせられる、いわば「現実とフィクションの線引き」をある程度はひくことができる男性は、それがフィクションであるということを了解しながら、ファンタジーとしての「人妻」「自分にはできないこと/しないこと」としての「不倫」「寝取り/寝取られ」を自慰のネタとして楽しむ地点にとどまるでしょう。

一方、実際には結婚もしていない演じられた「人妻」のポルノを鑑賞しながら、「人妻」という「属性」の曖昧な性質の霧のなかに飲み込まれ、「自分も人妻とこのようなことができるのではないか」という性的酩酊状態に陥るタイプの人間は、ポルノの中では隠されている「現実的な制約」なり「法的問題」なり「社会的制裁」という危険を押し切って、自分がフィクションとして鑑賞した「人妻」というものを、自分のリアルな「体験」にするために、現実の人妻に性交渉をしかけ、性的対象として扱う目線を生身の女性の肉体に向けることになるでしょう。

人妻という属性によってもたらされる性的酩酊効果

「人妻」における性的酩酊状態による「フィクションと現実の混同」は、「社会的な倫理観」から逸脱しているというだけで、「性犯罪ではない」ではありません。

たとえば、「レイプ」「ロリータ」「痴漢」などのポルノを見て「フィクションと現実を混同」してしまい「行為」に及ぶようなどうしようもない男性は、ポルノを鑑賞してはいけないというか、早い段階で陰茎を切断され睾丸を潰されるなどしたほうがよいでしょう。

しかし、「人妻」という「属性」「フィクション」に触れて、それを「現実」のものとしようとする男性に関しては、「強姦」のような手続きをとらない限りにおいて、ですが、自分の責任で「人妻」と接触をすること自体にはそれほど問題があるわけでもありません。

「人妻」という「属性」を、フィクションの領域から、自分の身体を通して現実の体験に寄せたとき、現実の「人妻」によって、その「甘い夢」が壊されるのか、あるいは、「甘い夢」以上の性体験が与えられるのかは、その男性と、出会う人妻次第としか言いようがありません。

私個人としては、「現実が夢を壊す確率のほうが高い」と考えているので、リアル人妻との交渉はあまりオススメできません。

もし、実際の出会い募集掲示板などで人妻と関係を持ったことがなく、アダルトビデオなどで「人妻」という「属性」を検索し自慰をする状態にとどまっているのであれば、その曖昧な性質ゆえにある種の性的酩酊状態を与えてくれる「人妻」という「属性」の、「フィクション」「現実」の落差について少しばかり落ち着いて考え、香り立つ魅力と誘惑から一度距離をおいてから「現実の人妻」に手を出すかどうかを決めたほうがよいのではないかと思います。