お前の妻は俺の物精神の男たち

人妻好き男と不倫人妻の低劣という共通点

「他人の所有物としての人妻」を略奪し「自分の所有物」にすることで得られる感覚を快楽に変換させる人妻好きの男性と、人妻好き男性に略奪されることになる当の「人妻」との間には埋めようのない齟齬があります。

しかし、「人妻好き男性」に略奪され、不倫関係に陥ることになる「人妻」の多くは、自分が「物」として扱われているということには気づいていない場合がほとんどです。気づく頃にはすでに泥沼化、修羅場に足を踏み込んでいるといったところでしょうか。

「人妻」は、不倫関係を持つことになる男性に対して「愛」のような感情を求めることになります。一方、男性のほうはというと、「愛」を装って「人妻」を巧妙に言いくるめながら、都合のいいセフレをキープすることを考えています。

都合のいいセフレ人妻獲得のためならどんな嘘でもつく

都合のいいセフレ人妻獲得のためならどんな嘘でもつく

不倫相手となる男性が妻帯者であった場合、「人妻」が相手の男性がその妻と別れることを要求することがありますが、これは、「夫以外の男」のことを「人妻」が好きになってしまったパターンで、「人妻」というものを「略奪の対象物」「キープできるお手軽なセフレ」とでも考えていた人妻好きの男性は、面食らい、しどろもどろになりながら、なんとか穏便に「恋愛感情ゆえに次第に厄介になってきた人妻」を切り離すための行動を開始することになるでしょう。

不倫をする既婚男性が「人妻」に対して「セフレとしてキープ」するために常套手段として使う「愛情表現」は、「二人の関係がもし旦那にバレたなら、自分の妻とは別れる(不倫男性に子供がいる場合は、ことさらに「子供もいるが、それでも」ということを強調しながら)」というものです。

これで、一部の脳内お花畑の「人妻」はイチコロです。「ああ、私は一人の人間として、一人の女性として、愛されている!」と、そう思い込み、不倫関係により一層ズブズブと身を沈めていくことになるのです。

それで、「バレるまでは今の夫と別れずに関係を継続することができる。たとえバレたとしても、あっちは家庭を捨ててでも私と運命をともにしてくれると約束してくれたのだから、何も怖くない。バレても大丈夫。バレないうちは後ろめたいけどただただ楽しい、これが本当の愛なんだわ」と、自分の旦那を甘く考え、不倫のためにする行動はどんどん大胆に、あからさまなものになっていきます。

不倫がバレたときに人妻好き男性がとる行動

さて、いざ不倫関係が旦那にバレてしまったとき、既婚男性が「自分の家庭を捨てる」ということはまずほとんどありません。

既婚男性は自分の家庭を「第一」のものとして考えて、その領土を確保したうえで「他人の所有物を奪い、自分の物として管理する」ことに快楽を見出しておりますから、「セフレとしてキープするためだけに交わしていた嘘っぱちの愛情」は当然ながら一瞬で消し飛ばされます。

怒り狂った旦那を相手に「不倫のことを自分の妻にだけは言わないでくれ」などといって土下座をし、「人妻」を裏切り、できれば慰謝料も払わないか支払額が僅少になるように策略をめぐらし、ひたすら「保身」「逃走準備」に躍起になります。

ごくまれに、「人妻好き」の男性も「人妻」もそれぞれに離婚することになり、離婚した者同士で再婚というケースもありますが、このケースも、大抵の場合はあまり良い方向へと向かうことがありません。

もともと、「他人の所有物」であるところの「人妻」が好きであり、「他人の所有物を略奪し、自分の所有物であるかのように管理する」ことに快楽を見出していた男性にとって、「自分の妻」というのは、「他人の妻」と違って、「単なる自分の所有物」でしかありません。

となると、強靭な性欲を持つ「人妻好き」の男性は、略奪して再婚した「元人妻」を、「確保された領土」として、再び、「他人の妻」である「人妻」を渉猟することになるでしょう。性欲がなくなるか、社会的な制裁を受けすぎて懲り懲りするか、金銭がなくなるか、などの理由がない限り、「人妻好き男性」「他人の妻」を求め続けることになると思われます。

ひたすら暗いだけの不倫後の再婚生活

「略奪愛」によってできた再婚夫婦の問題は、「元人妻」の日々の暮らしを侵食するものでもあります。

「不倫をしているときのロマンティックな感情」とはまるで違う平坦な結婚生活への不満(愛人のときはあんなにも囁いてくれた愛の言葉や、燃えるような背徳的セックスはもう望めないし、機能もしない)、「不倫をして家庭を捨ててまで自分が手に入れたかったのは、本当にこれなのか?」という拭い去り難い疑念や後悔などが、かつての結婚生活とそれほど大きな変化もない単調な反復の隅々にまで浸透し、「元人妻」をひたすら暗い気持ちにさせ、少しずつ自己嫌悪を深めさせていきます。

「元人妻」「子供」がいたときなど、「元人妻」が受けることになる仕打ちはまったくひどいもので、自分がお腹を痛めて産んだ子供たちに憎悪され敵意を向けられ人間以下の扱いをされる末路が待っています。

「あなたはもう私の母ではありません」という断絶の宣言や、全存在を否定するような口汚い罵りは、折に触れて差し込みのように想起され、その断絶宣言の残響は、「元人妻」の最深部にとどまりつづけ、決して消え去るということがないでしょう。

そのすべての原因は、ソファに横たわって鼻くそでもほじっている「人妻好き男」と、また、そんな「人妻好き男」のいっときの甘言にコロッとなびいてしまった自分にあるのです。そんな男と自分の存在をたえず意識させられる「不倫後」の再婚生活は、到底うまくいくとは思えません。

人妻好き男性が恐れるのは人妻の恋愛感情である

不倫相手が独身男性であった場合、「すっかり入れ込んでしまった」がために見境がなくなった「人妻」は、夫と離婚し、この「愛人」と結婚するために動き始めるというケースがちらほらと見られます。

この場合、「人妻」を都合のいいセフレとして扱っていた独身男性は、離婚することになる「人妻」の夫から自分に対して要求されるであろう慰謝料などを回避するために、連絡先や住所などを変更し、足がつかないようにして雲隠れするなどの行動に出る者もいるでしょう。

そして、逐電が完了したさきで、「いやー、セフレとしか思ってなかった人妻が本気になっちゃって本当に大変だったヨ」などと、「セフレの数」「男性の強さ、パラメーター」となるような男性コミュニティに属する友人たちと酒を飲みながら武勇伝的に語り、「頭の悪い人妻をうまく騙してタダマンができるセフレを作った男」として他の男性たちに対してマウントをとっていることうけあいです。

「人妻」という存在を「物」としてしか考えておらず、「略奪」のミッションが成功すると同時に対象への興味の大半を失い、しかし、「略奪」によって「所有」はしたのだから「セックスができるうちはセックスしておこう、セフレとして管理しておこう」という精神性を持つ「人妻好き」の男性にとって、「人妻」から向けられる「恋愛感情」というのは恐怖でしかありません。そして、「人妻好き」の男性と「人妻」の齟齬が明るみになるのは、まさにこの地点であるといえます。

人妻は愛情のない男から愛を感じ取る

人妻は愛情のない男から愛を感じ取る

「人妻好き」の男性は、自分が「略奪」しようと考えている「人妻」のことを、はじめから「愛」などという感覚で見てはいません。「人妻好き男性」「人妻」に対してする愛情たっぷりのアプローチは、すべて「所有物の略奪」のために行っているのであって、「対象への愛」によって行われているのではありません。

一方で、「人妻好きの男性」に魅了されて不倫に陥ってしまうタイプの「人妻」の女性は、「自分の結婚生活に足りないもの」「人妻好き男性」「愛情」「セックス」などで埋めてもらいたいと思っていたり、もう今後は自分には与えられそうにない「ロマンティックな恋愛」を体験し、恋愛物語の主人公になりたいと考えていたりします。

「他人の所有物を略奪したい」という「人妻」「物」として扱う「人妻好き男性」と、「結婚生活で生じている隙間を埋めてほしい」と考えて「人妻好き男性」になびいてしまう恋愛気質の「人妻」というのは、「埋まっているように見える」だけではあるのですが、「凹を凸で埋めあう」という関係性を構築していると言えます。

はじめから存在しない幸福とやらを求めて

「結婚生活で生じている隙間を埋めてほしい」という「人妻」に特徴的なのは、「ここではないどこかにいきたい。眼の前の人とは違う誰かと会いたい。今持っている物とは違うもの、あるいは、結婚生活によって喪失したものが欲しい」という考え方です。

「結婚」の現状に対する「人妻」の不満は、「こんなはずではなかった」という失望の感覚から導かれるものです。「結婚」に失望するためには、まずは、「結婚」というものに対してある程度の期待がなければならないでしょう。

実際はそんなことはまったくないのですが、日本という場所においては、「ある年齢までに結婚して子供を産んで家庭を作る」というような「ひとつの生き方」だけが「幸福な生き方」として考えられ、このような考えが小市民層を支配している傾向があります。

「結婚」はとにかくしなければならない、同世代の友人知人などがどんどん「結婚」するために焦りが募る、「結婚」をしない限り自分は「幸福」といわれる世界に足を踏み入れないまま死んでしまう……このような恐怖にせきたてられて、「結婚」をしないと終わりだ、と考えている視野の狭い女性は一定数存在します。

結婚に対する過度な期待が落胆と現状不満を生む

何かしらの趣味などがあったり、自分の人生を自分の価値基準で楽しく生きることに対する最低限の思考能力などがあれば、「結婚はしてもいいし、しなくてもいい」くらいの距離感で、決して「必死」になることなく、焦りや圧力を感じることもなく、「結婚」と向き合うことになるでしょう。

一方で、趣味などが何もなく、自分の生き方について考える力もない女性は、「生き方」というものを「他人によって作られたレール」に当てはめて想像することしかできません。そして、世間的には「幸福な生き方」ということになってしまっている「結婚」だけが生きる目的ということになります。

そして、「結婚」「自分を幸せにするもの」でなければならず、「なんとなく、いや、きっと、それは自分を幸福にしてくれるものなのだろう」という過度の期待をかけてしまうことになるのです。

そのような考えで、「結婚」という制度に対する批判的な思考を一切通過せずに、ただ「なんとなく」「結婚」をしてしまった「人妻」が、現状不満に陥るのはある意味で当然であると思います。

性欲処理に夢中な男となんとなく生きてきた女の結合

「なんとなく結婚してみた」けれども「こんなはずではなかった」ならば、結婚生活の外部から、「ここではないどこかへ」自分を連れてってくれる「誰か」の登場が必要です。ここで、「人妻」と呼ばれる女性を「物」として扱う「人妻好きの男性」が間男として登場するわけです。

「人妻好き男性」は、相手のことを「物」として扱っていることがバレないように「現状不満」「人妻」にとって耳障りのよい「愛情たっぷり」な言葉を投げかけます。そして、セックスレス(結婚したらセックスをしなきゃいけないなんて馬鹿らしい考えですけど)の身体を自分の欲望を満たすためだけのセックスで刺激します。

すると、「人妻」はもう、「齟齬」には気づかず、その言葉とセックスのみで「ああ、この人は私のことを愛してくれているんだ」「私の結婚生活に足りなかった部分はこれだったのだ」などと考え、あっけなく「人妻好き男」の目論見通り、「人妻好き男の所有物」になってしまうのです。

他人の妻を「物」として扱って略奪しようとする「人妻好きの男」と、「なんとなくの結婚」「あってないような幸福」を求めて飢えてしまっている一部の思慮不足の「人妻」というのは、互いの目的だけを見ると「齟齬」があるはずなのですが、それでも「お似合いの組み合わせ」になってしまうのは、それぞれが男としても女としても「低劣」であるからなのかもしれません。